2017年5月18日木曜日

第2話 掃部助、常閑そして返魂丹

萬代(もず)を名乗る人が歴史上初めて登場するのが、返魂丹という薬の歴史に関してです。

室町時代、萬代家初代とされる萬代掃部助(もずかもんのすけ)は和泉国代官として大内氏に仕えていました。

ある日、堺浦で明国舟が難破したのを、掃部助が助けます。

その日、掃部助の夢枕に百舌鳥八幡宮の神様が出てこられて、

『明人から礼を受け取ってはいけない』

とのお告げを賜ります。

明人は、やはり『お礼を』と言いますが掃部助は断ります。

そして、その明人から秘薬の製法を伝授されます。

これが、延寿返魂丹のはじまりです。

掃部助は、これを機に返魂丹の製造に専心することになります。

そして、主計(3代)、常閑(8代)と受け継がれます。

その噂を聞いた岡山藩主池田忠雄に典医として迎えられることになります。

これが、今も続く、岡山・万代常閑家のはじめとなります。

(萬代常閑像:妙国寺)

岡山の万代常閑家は現在も医家として続いているそうです。

そして、岡山から富山へと伝わります。

その時の話は以下の様に伝えられています。

返魂丹と富山との関わりは次のように語られている。常閑が長崎へ旅した時のこと、懇意になった富山藩士日比野小兵衛が腹痛で難儀した際、常閑が与えた返魂丹で腹痛がおさまった。小兵衛は常閑からその製法を学び自ら用いていたが、藩主前田正甫(まさとし)が腹痛で苦しんだ時、これが効いたことから、正甫はこれを藩内の薬種屋松井屋源右衛門に命じて製造、販売させることにした。その効き目は顕著で評判となり、正甫は松井屋源右衛門に命じて広く諸国へ売り広めるよう命じ、源右衛門の手代源兵衛が諸国へ販売することになった。これが越中売薬の始まりであるという。


この返魂丹がもととなって、富山の薬売りが始まるのです。

富山では売薬さんが帰ってくる毎年6月に常閑をまつるお祭りをされるそうです。


富山妙国寺には以下の様な感じです(私が撮った写真です)







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